プリキュアに、叱られる

ものの流れで、今「ふたりはプリキュア」と「Yes! プリキュア5 GoGo!」を観ています。

この手の少女向けアニメというのは、主義主張が一貫し、また、その主張方法も実にシンプルです。物語の方法でさえも、非常にシンプルです。
ことさら、プリキュアについては各シリーズ一貫して

主人公たちがなにかしようとする

敵の幹部が邪魔しに来るor利用しようとする

ザケンナーorウザイナーorコワイナーorホシイナーが参戦(というか、幹部たちが使ってくる)

主人公たち変身

取りあえず最初は肉弾戦(これがセーラームーンに代表される今までの魔法少女系ヒロイン作品とは全く違うところ。プリキュア最大の特徴とされている。何しろ、自分の体力を使って戦うのだ)

(5以降は各々が単独で魔法を使うこともある)

跳ね返される

「お前らではかなわない、もはやプリキュアも終わりだ!フハハハハ!!!」

「絶対・・・あきらめないんだから!」

キックやパンチがヒットし始める

連携攻撃も決まり出す

幹部焦る

二人or五人合わせての必殺技「プリキュア!○○○!!!」(○の中は各シリーズで異なり、さらに2クール毎に変化する。ちなみに、使う武器も変わるか増えるかする。これはグッズ販売上の戦略と明言されている)

ザコ敵消滅(ゴメンナーなどに変化)

ラストバトルの場合は幹部も消滅、大概は食らう前に消える

最初に主人公たちがしようとしていたなにかが当初の予定とは違った形で完成される

大団円

次回予告


結局、一度ピンチにならないと面白くない、というのが見えてきます。
物語は主人公たちが成長する過程のことである、と定義することもあるのですから、主人公たちが危機に直面しなければ物語として成立しないというのもあります。
少女向けの(特に東映系、日曜朝系の)「戦うヒロイン」アニメでは、その方法論が顕著に表れているので、検証しやすいです。

そして、主人公たちがピンチの時にいう主張が直球ど真ん中であるが故に、自分まで叱られた気分になるのです。自分はここまで汚れてしまっていたのか、と。

プリキュアって異性愛規範そのままでは?

プリキュアを観ていて、すこし引っかかるのは、プリキュアって視聴者の女の子に対して恋愛を強要する節がありませんか?ということです。
主人公たちは中学生ですから、恋愛をするのは当然、というのは結果と過程が逆でしょう。
中学生たちが恋愛をするアニメを放映しているから、ませた女の子たちがよくわからないにもかかわらず恋愛ごっこをしているように思えてならないのです。

試しに、プリキュア第一シリーズ第八話のような展開のお話を毎週放映していたら、もうすこし恋愛に対する先入観、というかませた女の子たちが減るのでは、と思うのです。もっとも、プリキュアがそんなに影響力を持っているとは思えませんし、代替するものが現れるだけなのでしょうが。

「私・・・女の子が好きなの!」といった回が現れてきたときには、どうしましょう。絶賛しましょうか?まぁ、自分は作品からフィリアを感じることが出来るようなら、その回は素晴らしいと思います。

自分自身に、男女間の恋愛なんかすべてエロスのかたまりなんじゃい!なんていう中二病的な偏執がなければ、もっと素直に観ることが出来るのでしょうが。